連続講座「2025年度・レジリエンス━破綻と回復の境界」第6回講義レポート

京都大学経営管理大学院レジリエンス経営科学研究寄附講座では、昨年度に引き続き、レジリエンスについて考える連続講座を開催しています。今年度も各講義100人を超える方々からのお申し込みをいただき、改めて非常に多くの方が関心を寄せているテーマであることを再確認いたしました。ご参加できない方やもう一度講義を見直したい方に向けて、毎回の講義動画を公開いたします。

今年度最終回となる第6回は、京都大学工学研究科の川端祐一郎准教授による講義です。「リスク過敏社会と排除の論理」と題し、統計的には安全になった現代社会がなぜリスクに過敏になるのかを分析した上で、ITを活用した監視や排除のメカニズムを論じ、ブロックチェーンに代表される技術的解決策の限界と、人間同士の信頼の再構築こそがレジリエンスの基盤であると説きました。

【開催概要】

日時:2026年3月21日(土)16:00-18:00
登壇者:川端祐一郎准教授(京都大学工学研究科都市社会工学専攻)
場所:京都大学吉田キャンパス 総合研究2号館1階 講義室1
テーマ:リスク過敏社会と排除の論理

安全の追求が生む逆説理

川端准教授はまず、自身の専門である防災分野の具体例から議論を始めました。東日本大震災後に宮城県に建設された巨大防潮堤は、津波を防ぐ目的を持ちながらも、住民が親しんできた海辺の風景を奪い、地元から強い反発を受けています。また、津波の際に家族を助けに行かず一人一人がバラバラに逃げることで生存者数を最大化するという「津波てんでんこ」の考え方についても、京都大学の大西正光教授らの研究を紹介しつつ、再考を促しました。

確かに助けに行って自分も津波にのまれれば損失は大きい。しかし、津波がどこまで来るかは来てみなければわからない以上、「本当は助けに行けたのに行かなかった」という後悔は必ず生じます。安全という目的に最適化するだけでは、人間が抱える後悔の問題は解決できないのだと述べました。

こうした防災の事例を導入としたうえで、現代社会のリスクの全体像が示されました。交通事故死亡者数、乳児死亡率、犯罪件数のグラフを提示し、いずれも1970年代から大幅に減少していることを確認しました。統計的に見れば、我々は歴史上かつてないほど安全な社会を生きています。ところが、社会が安全になった一方で二つの新しい問題が浮上していると指摘しました。一つは、原発事故や環境汚染のように、専門家にしか評価できない巨大なリスクが増えていること。もう一つは、逆に小さなリスクに対して社会が過敏になっていることです。東京23区での犬の散歩禁止、公園の遊具400カ所一斉撤去、花火のできる場所の激減など、一昔前までは許容されていた”リスク”についての具体例を次々と挙げました。

リスク社会と排除の論理

こうした現象の理論的背景として、まず社会学者バリー・グラスナーの「恐怖の文化」が紹介されました。グラスナーによれば、メディアはリスクを誇張して商売をし、政治家もリスクをネタに票を集めている。そうした社会不安のばらまきが人々の不信感を高めているのではないかという指摘です。因果関係の立証は難しいものの、捉え方としては興味深いと川端准教授は述べました。

では、なぜこのような社会になったのか。その構造的な説明として、ウルリッヒ・ベックの「リスク社会論」が参照されました。ベックによれば、豊かさや平等がある程度達成された1970年代以降、社会は個人主義化が進み、人々が団結して問題に対処することが難しくなりました。個人では手に負えないリスクに対して、企業や国が用意するシステムに頼るしかない状態が生まれています。さらに政治家もリスクの実態を理解できず、専門家の勧告をわからないまま追認するだけになった。こうして民主主義そのものが機能しにくくなっていると指摘しました。 続いて、犯罪学者ジョック・ヤングの議論が取り上げられました。かつての社会は犯罪者を刑罰や教育によって矯正し、社会に再統合する「包摂型」でした。ところが個人主義化やリスク管理の発想が浸透するにつれ、犯罪者は人間としてではなく統計的なリスクとして扱われ、社会から機械的に排除する方向へと変わっていきました。川端准教授は、交通違反などに対してSNS上で極端な厳罰を求める声が噴出する現象も、この排除型社会の表れだと述べました。

デジタル監視と信頼の再構築

排除の論理がデジタル技術と結びつくことで問題はさらに深刻化します。コロナ禍で導入された接触確認アプリ「COCOA」、中国の社会信用スコア構想、オランダで人権条約違反の判決が下されたリスクスコアシステム「SyRI」など、ITによって個人のリスクを点数化し管理する動きが各国で進んでいます。Amazonの採用AIが女性を不当に低く評価していた事例や、アメリカの再犯予測システムにおける人種差別の問題も紹介し、「統計的差別」の構造が解説されました。大多数の人は自分が差別される側になるとは思っていないため、全体のリスクが下がるならいいじゃないかと考えがちです。その結果、民主的な多数決のもとでこうしたシステムが導入されてしまう危険性があると警鐘を鳴らしました。

さらに、社会学者デヴィッド・ライアンの議論を引きながら、現代の監視はジョージ・オーウェル的な「外部の独裁者による監視」から質的に変化したと述べました。今や我々はSNSを通じて互いの情報を共有し合い、自らデータを企業や政府に提供しています。ライアンはこれを「監視は文化になった」と表現しています。IT企業はユーザーの行動履歴データをもとに行動モデルを構築し、広告に活用しています。誰かが悪意を持ってそうしているわけではなく、ユーザーのニーズに技術で最適化した結果、SNS依存や政治的意見の二極化といった問題が構造的に生まれていると論じました。

監視社会への抵抗として、IT業界には暗号技術を使って政府や企業の介入から身を守ろうとする思想が根づいており、その延長線上にブロックチェーンも生まれました。しかし川端准教授は、こうした技術的アプローチには限界があると指摘しました。ブロックチェーンの根本思想は「信頼なしで回る仕組み」を志向していますが、民主主義は市民同士の相互信頼を基盤に成り立っており、信頼を不要とする技術で民主主義をより良くすることはできないと述べました。

まとめ

川端准教授は最後に、暗号技術による防御も重要だが、本来目指すべきは「監視しなくても相手を信頼できる関係を築くこと」だと結論づけました。我々の文明は、市民同士の相互信頼や、行政機構・政治家に対する信頼という極めてパワフルな力の上に成り立っています。「信頼はもう成り立たない」という前提でブロックチェーンに走るのではなく、信頼を再び育て直す方向にこそ、リスク社会を乗り越える道があるのではないかと問いかけ、2025年度の連続講座を締めくくりました。

連続講座「2025年度・レジリエンス━破綻と回復の境界」第5回講義レポート

京都大学経営管理大学院レジリエンス経営科学研究寄附講座では、昨年度に引き続き、レジリエンスについて考える連続講座を開催しています。今年度も各講義100人を超える方々からのお申し込みをいただき、改めて非常に多くの方が関心を寄せているテーマであることを再確認いたしました。ご参加できない方やもう一度講義を見直したい方に向けて、毎回の講義動画を公開いたします。

第5回は、立命館大学副学長で文化人類学者の小川さやか教授による講義です。「危機における解散―価値の最高から考えるレジリエンス」と題し、人類学者デヴィッド・グレーバーの価値論を手がかりに、香港を拠点に国際交易を営むタンザニア商人たちの生存戦略を紹介しながら、不確実な時代を生き抜くレジリエンスのあり方を論じました。

【開催概要】

日時:2026年2月21日(土)16:00-18:00
登壇者:小川さやか教授(立命館大学副学長・先端総合学術研究科教授)
場所:京都大学吉田キャンパス 総合研究2号館1階 講義室1
テーマ:危機における解散―価値の再考から考えるレジリエンス

口約束の経済と贈与の論理

小川教授の専門は文化人類学(経済人類学)で、贈与・交換・所有・労働を研究テーマとしています。大学院生時代にタンザニアで約3年間のフィールドワークを行い、自ら古着を売りながら路上商人を調査しました。主な著書に『都市を生きぬくための狡知』『その日暮らしの人類学』『チョンキンマンションのボスは知っている』、共著として『負債と信用の人類学』『所有とは何か』があります。

小川教授はまず、文化人類学者デヴィッド・グレーバーの「価値論」を手がかりに議論を展開しました。グレーバーは、価値とは個々の行為そのものにではなく、行為が社会的な全体に取り込まれる過程で生じると論じています。香港や中国で商品を仕入れ、母国に送る交易に従事するタンザニアの商人たちに注目し、彼らの取引慣行を紹介しました。

商人たちの間では、契約書を交わさない口約束の信用取引が日常的に行われています。商品を預けても代金が支払われない、あるいは逆に代金を払っても商品が届かないといった不履行は頻繁に起きます。しかし、そのとき損害を被った側が「あれはもともと贈り物だった」として債務を帳消しにすることがあると小川教授は述べました。不履行を贈与として読み替え、返礼の義務を相手に負わせることで、取引の失敗が将来の関係を生む種に転じるのだといいます。

小川教授は、こうしたやり取りの核心は損得ではないといいます。相手を裏切り者として切り捨てるのか、恩義を持つ仲間として関係を育てるのか――大切なのは、自分の対応が人間の関係をどう形づくるかにあると指摘しました。

お金ではなく人に託す――贈与が支える暮らし

続いて小川教授は、グレーバーが『負債論』で論じた「人間経済」と「商業経済」の対比を紹介しました。商業経済では、個々の人間を社会的文脈から切り離し、形式的に同じ存在として扱うことで、成績や生産性といった指標が成り立っています。一方、人間経済とは富の蓄積よりも人間そのものの創造に関心を持つ経済であり、人間は数値に換算できない唯一無二の存在として扱われます。

小川教授は、こうした香港のタンザニア商人たちの世界にこの人間経済の特徴が色濃く残っていると述べました。商人たちは事業に成功しても規模を拡大しません。代わりに、仕事にあぶれた若者に中古自動車を買い与えてタクシー運転手にさせたり、別の若者にアイスクリームの露店を持たせたりと、稼いだ金を他者への贈与に回していきます。手元に貯金は残りませんが、自分に恩義を感じる人間が増えていきます。

小川教授はこれを「富を現金ではなく人間の形で貯蓄する経済」と表現しました。 贈り物には贈り手の何かが宿ります。小川教授は、商売に失敗した青年が木材問屋の年配女性から亡き甥の形見の道具を譲り受け、職人として歩み始めたエピソードを紹介しました。青年は道具の手入れをするたびにその女性のことを思い出すといいます。こうして贈り手の「分身」が各地に散らばっていくと、自分が困ったとき、かつて助けた誰かの能力を引き出すことができます。

500万円を貯金するより500人の多様な人間を持つ方がいい――商人たちはそう考えています。助けたから助けられるという対等な交換ではなく、それぞれの人生がバラバラであることに賭け、誰か一人くらいは何とかしてくれるという「保険」を多様に揃えておくのだと小川教授は述べました。

お金ではなく人に託す――贈与が支える暮ら多様な選択が生むレジリエンス――コロナ禍の経験からし

続いて、個人の「賭けて待つ」が集団のレジリエンスへと転換される仕組みが論じられました。コロナ禍に遡ります。香港のタンザニア商人たちは、病気や事故の際に互いを支える組合を作っていました。しかしその組合はパンデミックの流行とともに解散を決意します。小川教授は組合長の言葉を紹介しました。全員にとっての危機が起きたとき、一致団結して同じ方向に賭けて失敗すれば、全員が一斉に窮地に陥ります。正解がわからない以上、個々がバラバラの方向に進み、それぞれ異なる挑戦をするしかありません。きっと誰かは危機を乗り切る道を見つけるだろう、そうしたらその人に教えてもらえばいい――。一人一人の生計を多角化するリスク分散の論理が、危機時には集団のレベルにまで拡張されるのだと小川教授は指摘しました。

実際にコロナ禍で、香港や中国にいた商人の多くはタンザニアに帰国し、即座にまったく異なる商売を始めました。ある商人はコロナで治安が悪化すると読み、SNSで警備員を派遣する会社を起業しました。別の商人は「何があっても人は食べる」と、貿易の資本をすべて投じて畜産業に転じました。2022年の追跡調査では、帰国先で新事業を軌道に乗せた者、香港に再渡航した者、タイやトルコなど第三国に転戦した者と、それぞれが異なる道を歩んでいたといいます。 小川教授によれば、異なる国で商売を経験した商人が元の場所に戻ると、以前は気づかなかった市場のすき間や商機が見えるようになります。こうして各地に離散した商人たちが再び集まると、それぞれの土地で見つけた商材や販売の手法が共有・融合され、新たなビジネスが生まれていきます。個々の「賭けて待つ」が仲間の多様性を介して集合的に増幅され、行き詰まりの打破につながっていくのだと小川教授は結びました。

まとめ

小川教授は最後にグレーバーの議論に立ち戻り、借金は死んでも返すべきものだという常識も、不要な書類仕事に追われる日常も、すべて人間の行為の積み重ねがパターン化し固着した結果にすぎないと述べました。客観的に見ることができれば、そうではない行為を積み重ねる糸口はいくらでもあるとし、そのために自ら移動したり、異なる考えを持つ人々との関係を保ったり、異なる文化の仕組みを知る営みが必要になると語り、「今日の講義がその一つになれたら嬉しい」と結びました。

連続講座「2025年度・レジリエンス━破綻と回復の境界」第4回講義レポート

第4回は、九州大学の施光恒教授をお迎えし、『日本で優勢な自律性の理念とそこから生まれる社会秩序』と題して講義が行われました。施教授は、日本の社会秩序が西洋的な「法と権力」ではなく、民間に根付いた「文化」や高い規範意識に支えられていると指摘します。本講義では、他者や「お天道様」の視点を内面化して自らを律する日本人の精神構造を紐解きながら、グローバル化や少子化の中で揺らぐこの秩序を再活性化させるために、経済的な基盤である家庭や地域社会の再生がいかに重要であるかが論じられました。

【開催概要】

日時: 2025年12月20日(土)16:00-18:00

登壇者: 施 光恒(九州大学大学院比較社会文化研究院教授)

場所:京都大学吉田キャンパス 総合研究2号館1階 講義室1

テーマ: 日本で優勢な自律性の理念とそこから生まれる社会秩序――その意義と可能性

日本型秩序の特異性

 施教授は冒頭で、政治学において、社会の「秩序」とは通常、国家による「法」と「権力」によって形成されるものだと定義されます。しかし、日本の秩序はこの一般的な定義には当てはまらない側面が強いと指摘しました。日本の治安の良さ、交通機関の正確さ、街の清潔さなどは、海外からもその質の高さが広く認識されています。その一例として、ジョージア大使ティムラズ・レジャバ氏の日本人観を紹介します。レジャバ氏は、日本の凄みは政治家や官僚といったエリート層にあるのではなく、むしろ「一般庶民」の質の高さにあると伝えています。

施教授は、こうした日本人の特性が非常時においても見事に発揮された例として、東日本大震災での対応を挙げました。海外であれば、災害時などの無秩序状態ではまず軍隊が治安維持に動きます。日本では、警察機能が麻痺した状況下でも暴動は起きず、市民たちは規律正しく助け合って生活しました。コロナ禍において、罰則のない「自粛要請」だけで多くの国民が規律を守ったことも同様です。

続いて、王雲海著『「権力社会」中国と「文化社会」日本』を引き合いに、その構造を説明します。王氏によれば、中国の秩序は「国家権力」がゼロから作り上げたものであり、権力から自立した文化は存在しません。対して日本は、権力や法律ができる以前から、民間に共有されている常識や慣習といった「文化」が存在し、それが第一義的に社会の秩序を形成している「文化社会」であると言います。

王氏の議論を受け、この「文化社会」の正体こそが、私たち一人ひとりの内面から生まれる「日本型秩序」であるとし、その生成原理を次のように定義しました。「ひとり一人が敏感に他者の観点を感受しつつ、他者との関係性、ならびに置かれた状況において自分の思考や行為の適切さ(適宜性)をチェック(吟味)しつつ、必要であれば修正を行い、自己と状況との調和を保つよう努めるところから生成する秩序」と概括しました。

日本人の自己観、道徳観

続いて、上記の日本型秩序を作り上げる日本人の内面に目を向けます。欧米の自己観では、状況や文脈から独立した実体的存在として自己が規定されますが、日本人の自己観では、自己は他者との関係や状況の中に規定されるのです。

この違いを説明するため、施教授は言語における一人称に注目します。欧米言語の一人称(Iなど)は基本的に一つしかないのに対して、日本語の一人称(私、僕、俺、自分など)は状況や他者との関係によって無数に変化します。つまり欧米言語は自己認識から状況認識が生まれる一方、日本語は状況認識をして初めて自己認識が生まれるのです。 日本人は状況や他者との関係性に応じて、言葉遣いや振る舞いを変えていかなければなりません。

施教授は自身の体験として、研究室に所属する留学生が日本語を学んでいくと、性格が丸く、柔らかくなっていく傾向があると述べました。これは言語学者の鈴木孝夫氏が提唱した「タタミゼ効果」と呼ばれるもので、日本語を話すことで他者との関係性への配慮が自然と身につくためだと説明しました。

続いて日本の道徳観を、普遍的な公正や正義といった原理を重視する欧米の道徳観と対比し、状況重視の道徳観であると述べました。この違いは学校教育にも表れています。欧米の学校では、正義や権利などの概念を理解させ、それに即した行動をとることを教えます。一方、日本では他者の気持ちや期待を状況ごとに臨機応変に読み取り、行動することが重視されます。具体的には国語の授業で生徒に作文をさせる際、思いやりや共感能力(感情移入)を重視しています。また、日本の学校では話し合いや反省の場を設けることが多いと施教授は指摘します。その例として、施教授は自身が小学生時代に女子児童の髪を引っ張ってしまった際のエピソードを紹介しました。単に一方を叱るのではなく、クラス全員での長い話し合いの場を設け、加害者・被害者双方の気持ちを深く考えさせられたと言います。

施教授は、これらの教育の例から、日本の子供の「成熟」を「状況における様々な他者の視点を感情移入能力の発揮によって内面化し、その内面化された多様な視点と照らして、視野を広げ、自己の欠点を反省・自己批判により見出し、周囲の状況に真に適合的な状態に至るよう絶えず改善を続けていく一種の弁証法的な過程」として定義しました。

心理療法に表われる日本の伝統的人間観

この「成熟」の概念を補足して表している例として、日本的な心理療法に言及します。施教授は「内観法」という心理療法を実際に寺院で体験した話を述べました。内観法とは、1週間、スマホや活字を読むことを禁止された状態で、自分に関わる重要な他者を設定し、その人に「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を年代に区切って思い起こすというものです。これを繰り返すことで、人間というのは自分一人で生きているのではなく、他者との支え合いの中に存在しているという自覚が生まれ、回復に至ることが期待されています。施教授も最初は半信半疑でしたが、自分を他者の目から見ることを通じて、偏った見方が矯正され、実際に元気になった気がしたと述べました。

内観法は、自己中心的な見方に陥り、他者の視点が欠けてしまった場合に行われる療法ですが、対照的に、過剰に他人の目や世間の目を気にするようになってしまった人に対しては「森田療法」があります。森田療法は、人の視線が気になりすぎて身動きが取れなくなってしまった神経質な人に対し、不安や恐怖をあるがままに受け入れながら、なすべきことをなすように指導します。

この二つの心理療法から導かれることは、日本社会が求める人間像のバランスです。他者に配慮することは重要ですが、それが過剰になっても不足しても好ましくなく、他者の視点を適宜参照しながら自身をコントロールしていくことが求められているのです。

多様な他者の視点

こうした特徴は、日本の同調主義や主体性のなさを表していると言われることもある一方で、施教授は様々な他者の視点から自身を省みて、より良いあり方を模索しているのだと解釈すべきだと強調しました。そこで日本人が意識すべき『他者』の象徴として挙げられたのが『お天道様』です。単に世間の顔色をうかがう(同調)のではなく、事情をすべて知っている超越的な第三者(お天道様)に恥じない行動をとることこそが、日本的な『自律』なのです。さらに施教授は、柳田国男や小泉八雲の書籍を例に、死者や先祖の存在に注目します。日本人は生きている他者だけでなく、亡くなった先祖たちの存在を意識して、自身の生き方を見つめ、律してきたのです。そうした意識が自分だけではなく他者への配慮を重んじるという日本型の秩序を形成してきたと施教授は指摘します。

日本型秩序の再活性化に向けて

最後に、こうした伝統的な日本型秩序が様々な問題によって崩れつつあると議論を展開していきます。日本型の秩序の維持は、家庭や学校での初等教育が担ってきました。しかし、家庭は少子化や経済的貧困によって機能が弱くなり、小学校は統廃合によって減少しています。さらに、教科外の活動(特別活動)や部活動といった秩序を学ぶ機会が減っていることに対しても危機感を募らせます。では、失われつつある秩序感覚を伝えていくためにはどうすればよいのか。

施教授は、アメリカの保守派論客オーレン・キャスの言葉を引き合いに『家庭や地域社会を支えうる十分な賃金を払える雇用』を作り出すことこそが、日本型秩序の文化的基盤を守るために必要であると述べ、講義をまとめられました。

連続講座「2025年度・レジリエンス━破綻と回復の境界」第3回講義レポート

京都大学経営管理大学院レジリエンス経営科学研究寄附講座では、昨年度に引き続き、レジリエンスについて考える連続講座を開催します。今年度も各講義100人を超える方々からのお申し込みをいただき、改めて非常に多くの方が関心を寄せているテーマであることを再確認いたしました。ご参加できない方やもう一度講義を見直したい方に向けて、毎回の講義動画を公開いたします。

第三回は安倍晋三内閣で元内閣官房参与を務めた本田悦朗氏の講義でした。本田氏は、現在の日本が抱える外国人に関する多くの課題、外国人労働者問題、オーバーツーリズム、外国人による不動産取得に関する問題等を挙げ、なぜ今、このような問題が噴出してきているのかと問い、それはグローバリズムに対して国家が消極的にしか介入してこなかったからだと指摘します。グローバリズムの綻びが見え始めた今、高市政権は、日本の風土、伝統、歴史に関わるこれらの問題に真正面から対処しようとしていると本田氏は言いました。

【開催概要】

日時: 2025年11月15日(土)16:00-18:00

登壇者: 本田 悦朗(経営管理大学院レジリエンス経営科学研究寄附講座客員教授)

場所:京都大学吉田キャンパス 総合研究2号館1階 講義室1

テーマ: レジリエントな財政・金融政策

アベノミクスの教訓と「デフレという病」

高市首相は「アベノミクス」の基本路線を継承する方針を掲げていますが、そもそも「アベノミクス」とは、どのようなものだったのでしょうか。安倍政権のアドバイザーとしてその政策に携わった本田氏は、まずこの「アベノミクス」について振り返りました。

「アベノミクス」とは、第2次安倍晋三内閣が推進した経済政策です。安倍政権はデフレ脱却を目指し、物価安定目標2%を掲げ、日本銀行と連携して大胆な金融緩和政策を打ち出しました。それは、デフレの長期化が引き起こした人々のデフレマインド(将来への不安から消費や投資を控える心理状態)によって、需要が減り、物価が低迷していた日本の経済活動を活性化させるために打ち出した政策でした。

これにより物価は上がりはじめ、日本経済は回復の軌道に乗ったかのように見えました。しかし、2014年、2019年と2回の消費税増税が行われたため、安倍政権は完全なデフレ脱却を果たすことが出来ませんでした。この「増税による(経済回復の)失速」という苦い教訓が、現在の高市政権の経済政策の原点となっていると本田氏は述べます。

需要不足から供給不足へ ―高市政権の立ち位置

安倍政権が「デフレ脱却」を掲げてから約10年、今、コロナ直前の2019年よりも物価水準は上がっていると本田氏は指摘します。世界的なインフレの煽りを受け、物価上昇率は一時期4%にまで上昇し、現在でも2.9%程度を保っています。そのため、一部のエコノミストは「物価高抑制のために政策金利を上げるべきだ」と主張していますが、それは現状を見誤っていると本田氏は言います。

現在の物価上昇に対し、賃金の上昇がまだ追いついておらず、消費者の需要が落ち込むリスクが残っているからです。だからこそ、今行うべきは金利引き上げによる引き締めではなく、賃金上昇を確実なものにするための「後押し」であると本田氏は主張します。具体的には、設備投資やリカレント教育への支援を通じて、日本の「供給力(生産性)」を高めることです。

需要不足(デフレ)との戦いであった安倍政権とは異なり、高市政権はすでに「物価上昇」という経済活動の熱源がある状態からスタートできているため、その「追い風」を活かし、供給力を強化する成長戦略を取ることが可能であると述べます。

「責任ある積極財政」の真意

そして本田氏は、高市政権の成長戦略の中心にあるものこそ「積極財政」であると言います。高市首相は所信表明演説で、「責任ある積極財政を行う」と発言しましたが、本田氏はここで言う「責任」には二つの意味があると述べます。一つは「豊かさを実現する責任」、もう一つは「財政運営を持続可能なものにする責任」です。「豊かさを実現する責任」とは、国力を高めて国民生活を豊かにすること、「財政運営を持続可能なものにする責任」とは、日本の財政が破綻せずに将来も続くことへの信頼を指します。これまで財務省は、「日本の財政破綻」への過度な懸念により、歳入と支出のバランスをとることばかりを強調してきましたが、本来は「豊かさの実現」こそが財政の目的である、と本田氏は指摘します。

そもそも財政には、①公共財(国防・警察・消防・交通インフラ等、人々が共同で利用する生活基盤となるもの)を国が提供すること、②貧富の格差を是正すること、③経済を安定させること、という3つの重要な役割があります。高市政権では、特に③「経済を安定させる」ことを重視しており、将来への不安を希望に変えて「強く豊かな日本を作る」ことを目標に掲げ、そのために財政支出を活発化させ、景気対策を強化する「積極財政」を打ち出しているのです。

次に本田氏は日本の経済状況と国家の財政状況について、具体的なグラフや数値を取り上げながら説明されました。まず、物価関連指標の推移グラフを見ると、食料、エネルギーを除くCPI(消費者物価指数)は、現在、物価安定目標の2%に向かって収束しているのが分かります。また、エネルギー価格も一時期の上昇に比べると、だいぶ落ち着いています。問題は食料品の価格です。食料原材料の輸入価格の上昇はいまだ変わらず、小売価格の値上げが止まりません。本田氏は食料品の消費税のゼロ税率が一番効果的だと言います。

さらに日銀資金循環勘定のグラフを見ると、実はここ3年の財政状況は過去30年で最も改善しています。2025年の第二四半期に至っては財政が余剰になっています。一年を通してみると、マイナスかもしれませんが、短期間でも資金循環で財政余剰が生まれたことはいい傾向です。しかしそれはインフレだからです。インフレになると消費税収入が増えるため、政府の税収は増加する一方、家計は消費税を多く払わなければならず貧しくなるため、この傾向を素直に喜ぶことはできません。だからこそ、政府が黒字になっている分を国民に返すために、消費税のゼロ税率が必要だと本田氏は訴えます。

財政健全化のパラドックス―なぜ「黒字化目標」は失敗するのか

ここで本田氏はプライマリーバランスについて言及しました。これまで、政府は、財政の健全化を最優先課題とし、財政の持続性を考える上で、長い間プライマリーバランス(PB)という指標を重視してきました。簡単に言うと、これは国の税収等による歳入で歳出が賄われているかどうかを見る指標です。 アベノミクスを始めたころ、財務省は2020年までにPBを黒字化することを目標に掲げていましたが、これを達成することはできませんでした。

その最大の要因は、「PB黒字化そのものを目標にしてしまったこと」にあると本田氏は指摘します。 帳尻合わせの黒字化を目指すと、どうしても支出を減らす「緊縮財政」に走りがちになります。その結果、経済そのものが縮小し、元手となる税収が減ってしまう――。財政を健全化しようとして、かえって悪化させるという悪循環に陥っていたのです。 この悪循環から抜け出すためには、PBに代わる「真に有効な指標」を持つ必要があります。

成長を諦めない国家へ

では、縮小均衡を招くPBに代わり、何を指標にすべきでしょうか。本田氏は「政府債務対GDP比」を挙げます。これは経済規模(GDP)に対して借金がどれだけあるかを見る指標ですが、近年の日本はこの比率が右肩下がりで推移しており、財政は顕著に改善しています。また、この指標ではGDPも変数の一つであるため、GDPを増やすこと、つまり経済を成長させることも、国家の責任として明確化されるのです。有効な指標はまだまだたくさんありますが、大事なことはプライマリーバランスだけにこだわらず、様々な視点から財政状況を判断し、適切な政策を打ち出していくことだと述べました。

講義の最後、財務省は敵なのかという質問に対して、本田氏は「敵ではなく、協力体制を作ることは必ずできる」と話されました。また、昨今話題になっている脱成長などの思想に関しても、「なぜ成長する可能性があるのに、あきらめるのか」と話されます。資本主義社会に生きている限り、国家には経済を成長させる責任があり、そして高市政権はその責任を自覚しています。政治的な課題は山積みですが、これからの高市政権、日本経済への期待を込めて、講義は締めくくられました。

連続講座「2025年度・レジリエンス━破綻と回復の境界」第2回講義レポート

京都大学経営管理大学院レジリエンス経営科学研究寄附講座では、昨年度に引き続き、レジリエンスについて考える連続講座を開催します。今年度も各講義100人を超える方々からのお申し込みをいただき、改めて非常に多くの方が関心を寄せているテーマであることを再確認いたしました。ご参加できない方やもう一度講義を見直したい方に向けて、毎回の講義動画を公開いたします。

第2回は中国思想・日本思想を専門とする大場一央氏による講義です。大場氏は、松平定信が行った寛政の改革を手がかりに、江戸社会がどのように危機へ向き合い、社会の立て直しを図ったのかを取り上げました。先代から続く社会のゆらぎに対し、定信がどのような視点で政策を構想したのか、そしてその背景にどのような思想的基盤があったのかが示され、江戸という時代のレジリエンスに光が当てられました。

【開催概要】

日時: 2025 年 10月 18 日(土)16:00-18:00

登壇者: 大場 一央(早稲田大学法学部 非常勤講師)

場所:京都大学吉田キャンパス 総合研究2号館1階 講義室1

テーマ: 松平定信の国家経営戦略−レジリエンスとしての「寛政の改革」

家康の国家構想と朱子学による国造り

大場氏は、徳川幕府の明確な国家統治プランについてから講義を始めました。そのプランとは、「すべての日本人が日本人として平等になり、日本中どこへ行っても日本を感じることができる“風景”を作り出すこと」でした。

それまでの日本には奴隷身分が存在しており、彼らは海外に売り飛ばされることもありました。奴隷身分を解放するために家康は、本百姓制を敷き、日本人の80%を農民にし、彼らに田畑を提供して開墾させることで、日本全国に農村地帯を作り、「日本」的な風景を広げていったのです。

さらに家康は、思想面でも日本の独自性を作り上げようとします。その時に協力を仰いだのが朱子学者である藤原惺窩と林羅山です。朱子学は一人一人の人間の幸福と社会の安定を考える学問です。人間はある文脈の中で必ず一定の「立場」に立ちます。父は子供の「父」という立場、教師は生徒の「教師」という立場に位置するように、この人間関係のことを「人倫」、その中で果たすべき役割を「倫理」と朱子学では言います。つまり、日々の生活の中で自らの役割を見出し、自分らしさを見つけることの重要性が説かれていたのです。

そして、この考えを用いて家康は日本を発展させようとしたのです。具体的に家康は、武士に対して人々の模範となり、人倫と倫理に基づいた国づくりをせよと命令しました。その結果、力による支配を当然としたそれまでの武士像とは異なり、高いモラルを備えた武士の姿が形づくられていきます。こうした価値観こそが、家康の段階で“日本という国の形と心”として整えられ、それ以降の政治にも継承されていったのです。

保科正之と新井白石:民富増進と貨幣改革

第四代将軍家綱に仕えた元会津藩主の朱子学者、保科正之は政治の理(「理」とは朱子学で物事の筋道という意味)を民富(庶民の財産)を増やしていくことだと考えました。正之は会津藩ですでに社倉法(倉庫に種もみや米を貯蔵させる)を実践し、飢饉のときにそれらを年金として利用したり、飢饉の際に低利率で貸し付けたりしていました。

江戸の大火の際には、江戸城再建に大反対し、庶民の生活の再建にこだわり、上野広小路や玉川上水、五街道、そして東廻り航路や西廻り航路などのインフラの整備に資金を投下しました。この日本全体のインフラ整備により、各地の名産品、家具などが広まり、「日本中どこへ行っても日本を感じることができる”風景”を作り出す」という家康の思想を継承しました。

保科正之を引き継いだ新井白石は第六代、第七代将軍に仕え、正徳の治を行いました。白石は学問、武芸を奨励し、武士の一層の洗練に努めました。かつての定説では、貨幣の純化によりデフレ政策を行い景気を悪化させたと誤解されていましたが、それは前任の荻原重秀が貨幣を増やし過ぎたことに起因した経済の混乱を抑えようとしたものでした。

荻原の政策により、庶民のマネーリテラシーは崩壊し、また農民が借金を返せず、都市に浮浪するようになり、本百姓制も崩壊しかけていました。そこで白石は、増えすぎた貨幣の最適化を目指して、金貨・銀貨を回収しながら、紙幣を発行することで、緩やかに経済を正常な状態へ戻そうとしたのです。しかしこの改革は途上に終わり、のち反白石派に担がれた第八代将軍吉宗が紙幣を発行せずして貨幣を回収してしまい、デフレ状態に陥ってしまいました。

享保の改革と田沼政治:倹約主義からバブルと格差へ

吉宗は、享保の改革で倹約令を出し、貨幣での取引を制限しようとします。米の年貢が収入源であった幕府にとって、貨幣での取引が増えて貨幣の価値が上がることで、米の価値、すなわち幕府の収入が下がってしまうためでした。さらに、年貢を増やすために、米の増産を目的に新田開発を行いました。この一連の政策は、幕府の財産だけに目を向け、民富を無視した、「財政再建主義」的なものでした。

吉宗の側近として活躍した田沼意次は吉宗路線を継承します。田沼は徹底した倹約令を行い、新田開発の一環で干拓事業を行います。さらに、デフレを克服するために、大量の銀を金と偽って発行し、それを民間の事業者にばらまきました。資本の増えた民間の事業者は年貢の運搬事業などに参入します。

これにより、幕府は非常にコストの高かった年貢の運搬を手放すことができましたが、庶民は余計な手数料を取られることになりました。商人だけが儲かり、物価上昇に苦しむ庶民の暮らしは貧しくなる一方でした。

農村では特に負担が重く、生活のために都市へ流出する人々が増え、都市には富が集中しました。結果として、都市では富裕商人と貧困層の格差が広がり、地方の衰退と都市の過密化が進んでいきました。こうした格差と農村の疲弊のなかで天明の大飢饉が起こり、社会は大混乱に陥りました。田沼は十分な対策を取れずに批判を浴び、こうして田沼時代は幕を閉じることになります。

定信の経済政策と社会改革

ここからいよいよ松平定信について講義が展開します。定信は徳川吉宗の孫にあたりますが、松平家の養子に出され、「厄介」者として育てられます。私物は紙入れだけしか許されず、学問を唯一の楽しみとしていました。1年で1000冊以上も読破する読書家であり、その暮らしの中で、自分自身という人間の居場所を考え、誰よりも立場に則り、誰よりも自分らしく生きようとしました。

天明の大飢饉の際、定信は白河藩の藩主で、社倉法を実践していた会津藩から米を輸送し、食料の供給に努めたことで、白河藩から餓死者は出ませんでした。また、定信も倹約令を行いましたが、吉宗が行ったものとは異なり、藩の無駄を徹底的に減らし、余った米や金を領民に配ったのです。

この一連の政策が幕府の目に留まり、幕府に登用された定信は倹約令を幕府でも実践し、大奥の予算を7割削るなど、政府の無駄を削減し、既得権益を排除します。また、囲米によって日本全国で社倉法を実践します。さらに、江戸で1600あった町に対して、日々の経費を節約させ、その節約分の7割を積み立てる七分積金を行いました。そして定信は、節約で捻出された資金を、田沼のように大商人に貸し出すのではなく、中小事業者、新規事業者に低利で貸し付けます。またその金利で今度は米を買い、浅草の米倉にため込みます。この米倉は備蓄食料として、2、3年で満杯になりました。定信が意識したのは人々がそれぞれの立場や役割の中で無理なく暮らしていける社会を取り戻すことでした。それは朱子学に基づいた家康の思想を継承したものであると、大場氏は家康からのつながりを強調します。

他方で、定信は大商人を力で押さえつけたり、彼らを淘汰したりすることを望んだわけではありませんでした。むしろ、米価の急激な変動を防ぐために、米相場の調査や分析を大商人に依頼し、社会の安定に協力させています。また、一定の負担を幕府に納めることを条件に、商人たちが自らの資金を商取引や融資に活かすことも認めました。大商人を潰して、その分を庶民に回すというゼロサム的な政策ではなく、社会全体が無理なく暮らせるように、経済と秩序のバランスを整えようとした政策だったのです。

心と学問による人づくりと将来への視野

何よりも心を重んじた定信は昌平坂学問所(湯島聖堂)を整備し、朱子学を庶民に学ばせました。学問の奨励により、江戸では空前の学問ブームが起こります。藩校や私塾、寺子屋が急増するのです。識字率も含めた学問のレベルが急上昇し、一人ひとりの思考力を上げることにも成功しました。この状態になって、定信は再び倹約令を出します。それは庶民に対して、「今一度必要なものは何かを考えよ」というメッセージであり、景気が良くなっているからこそ、国民のマネーリテラシーの向上に努めたのでした。

定信は経済政策にとどまらず国防政策でも、外国の脅威にいち早く気づき、海軍や陸軍の必要性を唱えます。およそ30年後にペリーが来航した際の定信の予想は、現実のものになったのです。そして、その時外交交渉を担った人材の多くが昌平坂学問所の出身者だったのです。

明治に入り、渋沢栄一が東京の近代化を行う際の資金には、定信が積み立てた七分積金を多く当てています。江戸から明治にかけての近代化は定信の遺伝子なしでは成し遂げることはできなかったかもしれません。こうしてみると、定信の政策、理念が日本の歴史、生き方に大きな影響を及ぼしていると最後に大場氏はまとめました。

現代の政治は国民に目を向けた政治を行っているか、また日本人としての当たり前の生活が立ち行かなくなっていないか、より良い未来について考えるきっかけになる講義でした。

連続講座「2025年度・レジリエンス━破綻と回復の境界」第1回講義レポート

京都大学経営管理大学院レジリエンス経営科学研究寄附講座では、昨年度に引き続き、レジリエンスについて考える連続講座を開催します。今年度も各講義100人を超える方々からのお申し込みをいただき、改めて非常に多くの方が関心を寄せているテーマであることを再確認いたしました。ご参加できない方やもう一度講義を見直したい方に向けて、毎回の講義動画を公開いたします。

浜崎特定准教授による第一回の講義では、最初にレジリエンスの意味を概説した後、21世紀のポストリベラリズム社会がもたらす危機はどのようなものか、そしてそれを克服するヒントとなる、オープンダイアローグの考え方について述べられました。さらに、日本人へと視点を移し、いかにして自然な生き方を手に入れることができるのか、九鬼周造の哲学を援用しながら解説されました。

【開催概要】

日時: 2025 年 9 月 20 日(土)16:00-18:00

登壇者: 浜崎 洋介(京都大学経営管理大学院レジリエンス経営科学研究寄附講座特定准教授、文芸批評家)

場所:京都大学吉田キャンパス 総合研究2号館1階 講義室1

テーマ: 「いき」とレジリエンス―「おのずから」と「みずから」の関係をめぐって

レジリエンスの定義:竹のような「しなやかさ」

浜崎洋介准教授は、講義の冒頭で「レジリエンスとは竹のようなしなやかさである」と定義しています。工学では外圧による歪みに耐えて復元する力として使われますが、准教授はそれを単なる「強さ」ではなく、「時間をかけて回復する生命的な力」として捉えます。破壊や損傷の後に再び立ち上がる力には、時間的な生成、すなわち生命の流れが内在しているというのです。

そのため、レジリエンスを「堅牢性(ロバストネス)」と訳すのは誤りであり、むしろ「しなやかさ」や「弾力性」と表現すべきだと述べます。「ポキッと折れてしまえばそれで終わりだが、竹のようにしなって元に戻る」と例え、心理学や生態学の文脈においてもこの概念が重要であると説きました 。

加えて、レジリエンスを支える条件として「多様性と冗長性」「モジュール性」「柔軟なフィードバック」という三つの要素を挙げます。これは、特定の価値観や構造に依存せず、複数の関係や可能性を保ち続ける力のことを指しています。選択と集中ではなく、あえて流動性を許容すること。そこに人間的な回復力の基盤があると強調しました。

現代社会の危機:リベラリズムが生んだ「硬直化」

続いて、現代社会の危機を「リベラリズムの硬直化」として分析します。アメリカの政治思想家パトリック・デニーンの議論を引用し、「リベラリズムは失敗した。それは実現できなかったからではなく、成功したために失敗した」と紹介しました。さらに、フランスの政治思想家であるアレクシ・ド・トクヴィルの論を用いながら、リベラリズムが徹底されると、自由と平等の追求が社会的連帯を解体し、結果的に個人を孤立へと導く――その構造的矛盾を指摘しています 。

リベラリズムによって身分や権力に基づいた制度や権威が「人為的な虚構」として相対化されることで、人々は自分を守ってくれるものを求めて再び国家や多数派に依存するようになる。こうして「自由を守るはずの思想」が「多数者の専制」へと転化するという皮肉が生まれると言うのです。

浜崎准教授は、コロナ禍で「感染予防」という一つの正義に社会全体が収斂し、異論を封じる空気が形成されたことを例に挙げ、「リベラリズムが生んだ新しい同調圧力」であると批判しました。自由を追い求めた結果、硬直化して、逆に社会の自由が失われていく。このパラドックスこそが現代の危機だと述べています。

その上で、個人を孤立させないために「中間共同体」の存在が不可欠だと語りました。家族、地域、宗教的結社など、国家でも個人でもない「間(あいだ)」にあるつながりを作る。そこには、目的や成果を超えて「共にあること」そのものを価値とする関係性が生まれます。浜崎准教授はこれを「目的なき共同体」と呼び、現代におけるレジリエンスの基盤と位置づけました。

回復の方法:オープンダイアローグ

こうした「目的なき共同体」を体現する実践として、フィンランドの精神医療「オープンダイアローグ」が紹介されました。1980年代、西ラップランド地方のゲロプダス病院で生まれたこの手法は、薬物投与や入院を最小限にし、患者・家族・医療者が対等に語り合うことを原則とします。

一般的な医療は、医師が上位に立ち、一方向的に治療方法を決定する構造が主流でしたが、オープンダイアローグは全員に「聞こえる場」で進みます。医師と看護師が患者の見えないところで、治療方針を決定するのではなく、患者の前で全員が意見を交わし、患者は「観察者」としてそのやりとりを聞きます 。

この「リフレクティング」と呼ばれる手法は、患者が自分に関する言葉を他者の声として聴き直す契機になります。これによって固定化された自己像がゆるみ、自分自身を捉えなすことができる回復のプロセスが始まるのです。

この仕組みを浜崎准教授は、対話そのものが治療であり、結論ではなく継続が目的であると説明しました。この「オープンダイアローグ」の思想的背景には、ロシアの文芸理論家ミハイル・バフチンの「ポリフォニー(多声性)」があると続けます。ポリフォニーとは、複数の声が同時に存在し、どれも絶対化されない状態を指します。この複数の声が響き合う開かれた対話空間が、実は人間を解放させるというのです。

対話には、あらかじめ目的や答えを設定しない勇気が必要です。偶然性に身を委ね、他者の言葉に揺さぶられながら関係を編み直していく。この「おのずから生まれる回復の力」が、浜崎准教授のいうレジリエンスに繋がっていきます。

日本的レジリエンス:「おのずから」と「みずから」の調和

講義の終盤では、こうした思想を日本的倫理の文脈に接続する試みが行われました。

ここで取り上げられたのが哲学者・九鬼周造です。九鬼は「粋(いき)」という美学概念を通して、日本の倫理や生のあり方を論じた人物でした。浜崎准教授は、九鬼が「生きていることそのものに開かれ、凝り固まらない態度」を「粋」と呼び、それを日本人が長年培ってきた生きる倫理としたと紹介しています。

その上で、九鬼の哲学の核心である「おのずから」と「みずから」の関係に着目します。「おのずから」を自然発生的な他力性、「みずから」を意志的な自力性として説明します。「他力だけでは依存に陥るが、自力だけでも限界に突き当たる」と述べ、どちらか一方に偏ると人間は不完全になるため、自力と他力の往還の中に人間の成熟があると指摘しました。

つまり、人は「みずから」を徹底したときに初めてその限界に気づき、「おのずから」に開かれる。その後、再び「みずから生きる」地点に戻ってくる――この循環こそが倫理の核心だといいます 。

この「おのずから」と「みずから」の調和は、まさにレジリエンスの本質であるというのです。意志と自然、計画と偶然、自己と他者のあいだに生まれる柔軟な関係。それは、竹のように風にしなりながらも根を張って立つ姿に重なります。

講義は、レジリエンスが単に外部の力に耐えることではなく、しなやかに回復し続ける「生きる」ことそのものの倫理であるという視座を示す形で締めくくられました。

連続講座「2024 年度・レジリエンス―⼈間と社会の強靭性を考える」第7回開催レポート

第7回「レジリエンス経営科学研究寄附講座」では、京都大学経営管理大学院の山田忠史教授が「持続可能なビジネスとIT―わが国の物流を題材として」について講義を行いました。交通計画・物流計画の専門家として長年研究に携わってきた山田教授が、最適化計算とAIの関係性、日本の物流が直面する課題、そしてデジタル技術を活用した持続可能な物流システムの構築について多角的に論じました。

近年、トラックドライバー不足や環境問題などの課題に直面する日本の物流業界。その一方で、IOT・ICT・ビッグデータ・AIといったデジタル技術が急速に進展しています。こうした状況の中で、単なる「言葉遊び」に終わらないデジタルトランスフォーメーションとは何か、そして真に持続可能な物流システムをどう構築すべきか――。山田教授は工学的視点とビジネス的視点を融合させながら、これからの物流の在り方を提示しました。

【開催概要】

日 時:2025年3月15日(土)16:00-18:00

登壇者:山田 忠史 京都大学経営管理大学院教授

テーマ:持続可能なビジネスとIT―わが国の物流を題材として

最適化計算とAIの本質

講義の冒頭、山田教授はまず自身の専門である交通計画・物流計画における最適化計算とAIの関係性について解説しました。「AIという言葉が一人歩きしている現状」に対して、AIの本質は「生物の進化や行動を模倣した計算方法の総称」であり、最適化アルゴリズムは、持続可能な都市交通物流システムの設計に応用されていると山田教授は語りました。

「とりあえずAIと言えば何とかなる」という安易な考え方ではなく、本質を理解した上で技術とビジネスを融合させるべきだと山田教授は強調します。「技術を真に理解して、それに基づいてビジネスを立ち上げるという『マネジメント・オン・テクノロジー』の発想が重要だ」と述べ、単なる「マネジメント・オブ・テクノロジー」との違いを明確にしました。

日本の物流が直面する課題

続いて、日本の物流業界が直面する深刻な課題としてトラックドライバー不足の問題が取り上げられました。山田教授が示したデータによれば、ドライバーの数は年々減少しており、全年代で減少傾向にあります。さらに、働き方改革による労働時間短縮も加わり、現在の物流システムの維持が困難になりつつあるのです。

この問題の背景には、1990年代の規制緩和があると指摘します。免許制から許可制への変更により物流業者数が急増した結果、過当競争が生じて運賃が下落。かつては全産業平均よりも高かったトラックドライバーの所得が徐々に低下し、「夢のない商売」になってしまったと分析しました。こうした状況に対して「外国人ドライバーの導入」という解決策が提案されることがありますが、給与水準の国際比較(日本の約400万円に対し米国では2,000万円超)や、言語の問題、高度な物流品質の維持、災害時の対応など多角的な観点から、真の解決にはならないと主張しました。

デジタル技術を活用した新たな物流システム

講義の後半では、デジタル技術を活用した新たな物流システムの可能性について議論が展開されました。まず、デジタイゼーション(電子化)、デジタライゼーション(デジタル化・IT化)、スマート化といった概念の違いを整理した上で、デジタルトランスフォーメーション(DX)は単なるデジタル化ではなく、社会や生活、産業、ビジネスのイノベーションが伴う変革であるべきだと山田教授は強調します。

そして、IOT(モノのインターネット)・ICT(人のネット化)・ビッグデータ・AIという一連の技術が物流にもたらす変革の可能性について語りました。特に注目すべきは「見える化」の実現です。データが取れることで物流の全体像が見えるようになり、部分最適ではなく全体最適、すなわち「ロジスティクス」が可能になるというのです。

この流れの中で登場したのが「フィジカルインターネット」の概念です。インターネットでは情報がどのような経路でやり取りされているかユーザーは気にしないように、物流においても「何で運ばれたか」ではなく「確実に届くか」だけを重視するシステムへの転換を目指しています。山田教授はこれが物流効率化の鍵となり、トラックドライバー不足の緩和や環境負荷の低減につながると説明しました。

レジリエンスと物流の未来

世界の IT 巨人が展開するプラットフォームビジネス(GAFA など)の成功モデルを解説しながら、山田教授は物流版の MaaS(Mobility as a Service)の可能性についても言及しました。交通分野を例に、「アプリを通じて様々な移動手段を選択・予約・決済できるシステム」としてのMaasが登場したように、物流においても輸送手段の最適な選択をアプリ上で一元管理する「物流 MaaS」が構想されています。

こうしたシステムが実現すれば、異なる物流業者間での貨物の共同輸送や、トラック以外の輸送手段(鉄道・船舶)の活用が進み、効率化とともにマルチモーダル化(複数の輸送手段の活用)が図れ、ドライバー不足の緩和・解消していくと説明します。特に災害時においては、普段から複数の輸送手段を活用しておくことが「レジリエンス(強靭性)」につながると強調しました。

講義の締めくくりとして、レジリエンスを「様々なリスク要因に対して、事前に予防策を講じ(頑健性)、事後においては迅速(時間的回復性)かつ効果的(性能的回復性)に回復できる能力」であると定義し、これを物流システムに適用する重要性を語りました。

さらに、「インフラとスープラの融合型ビジネスモデル」の必要性を訴えました。「スープラ」が上部構造、「インフラ」が下部構造を意味するように、AIやデジタル技術といった「スープラ」だけでなく、それを支える物理的な「インフラ」も不可欠であると主張します。「技術(スープラ)を活かすためには強靭な肉体(インフラ)が必要」であり、両者のバランスが取れた発展の重要性を訴えて講義を締めくくりました。

浜崎洋介特定准教授との対談が行われ、持続可能な物流システムの構築に向けた課題と展望について議論が深めます。

この第7回をもって、2024年度「レジリエンス――人間と社会の強靭性を考える」連続講座は終了となりました。全7回を通じて、多角的な視点から人と共同体のレジリエンス力を高めるヒントが提示され、自己と社会を理性的にとらえる力を育む機会となりました。

連続講座「2024 年度・レジリエンス―⼈間と社会の強靭性を考える」第6回開催レポート

第6回「レジリエンス経営科学研究寄附講座」では、著述家・評論家として、政治と⽂化芸術の関係を主なテーマに、近現代史・政治思想論など多彩な領域を横断的に論じる辻⽥真佐憲⽒が「AI時代の情報戦をどう考えるか」について講義を行いました。

近年、ウクライナ情勢や国際政治における認知戦・歴史戦への関⼼が急激に⾼まる⼀⽅、SNSや⽣成系AIの台頭によって、⼈々の⾏動や思考がどのように“操作”されうるのか――。そうした新たな問題状況の本質を読み解き、さらに「国⺠の物語」や「歴史観」とのつながりを多⾓的に論じます。

【開催概要】
⽇ 時:2025年2⽉15⽇(⼟)16:00-18:00
登壇者: 辻⽥ 真佐憲 京都⼤学経営管理⼤学院レジリエンス経営科学研究寄附講座客員准教授
テーマ: AI時代の情報戦をどう考えるか

講義の冒頭、辻⽥⽒はプロパガンダ概念の歴史を振り返りました。20世紀前半、第⼀次・第⼆次世界⼤戦を通じて、国家が⼤衆を組織的に動員する「宣伝活動」は⾮常に⼤きな破壊⼒を持つと恐れられていました。しかし、戦後は「限定効果論」が台頭する中で、「広告や宣伝が⼈々をそこまで劇的に操作できるわけではない」という⾒⽅が広がっていきました。それに伴い、プロパガンダは⼀時「古い⾔葉」として扱われてきたと辻田氏は話します。

ところが近年、ウクライナ侵攻をはじめとする国際紛争や各国の内政⼲渉などにより、再び「認知戦」や「情報戦」としてのプロパガンダが注⽬を浴びています。その理由の⼀つがSNS(ソーシャルメディア)の普及にあると辻田氏は言います。これまで国家や⼤⼿メディアといった「上からの情報発信」によって成り⽴ってきたプロパガンダは、今や「下からの参加」が容易となり、SNSを通じて個人が⾃発的に情報を拡散できるほど⼤きな影響⼒を持ちうるようになったのです。そしてもう⼀つがAI技術の急速な進展です。⽂章や映像、⾳声を瞬時に⼤量⽣成できる「⽣成系AI」の登場により、プロパガンダにかかるコストは極端に下がり、事実上誰でも⼤規模宣伝を⾏える環境が⽣まれつつあると辻田氏は指摘しました。

そうした変化の中で、社会的な問題となっているフェイクニュースや歴史修正主義に対してどのように対抗するかへ話題は移っていきます。従来、歴史修正主義やフェイクニュースへの対抗⼿段としては、史料検証やファクトチェックが重視されてきました。しかし、今やインターネットでは相⼿が「事実検証⾃体を拒否」する場合も多く、感情的インパクトや⾯⽩い物語を提⽰する側が⼈々の⽀持を得やすく、ファクトチェックだけでは⼗分に対抗しきれないという事態が起こっています。そこで、辻⽥⽒は歴史や政治への関⼼を喚起しつつ、過度な扇動に流されないための包括的視座が求められていると説きます。出来事をただ批判的・実証的に語るだけでなく、「それをどう位置づけるのか」を⽰し、⼈々が共感を持ち得るストーリーを提供するのです。

そうした事例として、海外では⾃国の歴史をどのように再編集しているかを⽰す具体例が紹介されました。アメリカでは、「星条旗」をめぐる物語にアフリカ系⼥性の貢献を追加し、多⺠族社会としての包摂を強調しています。シンガポールでは、⽇本軍の占領期を“共通の苦難”として取り上げることで、⺠族の多様性をまとめる新たな物語を提⽰しています。インドでは、モディ⾸相が評価の低かった独⽴運動家を再評価し、巨⼤な像の建⽴を通じて「強いインド」を再想像を目指していると言うのです。

これらは、国⺠国家の歴史が固定的ではなく、政治や社会の状況に応じて更新されうることを⽰唆しています。それに対して、辻⽥⽒は⽇本の「歴史の器」が不⾜しているのではないかと指摘します。日本には国家が全⾯的に関わるような⼤規模な国⽴の歴史博物館や追悼施設は他国に比べて少なく、そうした状況が異なる歴史観の対立を生み出している一端になっていると話します。

異なる歴史観の対立を解消するには、国家が歴史を整備し、合意形成を図る仕組みが不可⽋だとして、浜崎教授との対談に続いていきます。対談では、AIによるフェイク⽣成やSNS上の情報操作が加速する中、国⺠国家に共通する物語と多様な個⼈・中間共同体の柔軟性をどう両⽴させるかが焦点となります。例えば、⼆・⼆六事件の⻘年将校の⾏動を取り上げれば、同じ素材が「悲壮な正義のドラマ」とも「無謀なクーデター」とも解釈しうることになります。そこにAIの演出⼒が加われば、映像や⾳楽までもが瞬時に編集され、感情を刺激するプロパガンダが無制限に生成される危険性が⾼まるのです。こうした状況に対抗するためには、「個がバラバラになり、すべての情報をただ無差別に受容する」のでもなく、「国⺠全体が単⼀の物語に没⼊し、批判的視点を失う」のでもない、第三の道が必要だと議論を深めていきます。

国家レベルの器(追悼施設や歴史博物館など)と、地域や家族といった中間共同体での対話が両輪となり、歴史を冷静に検証しつつも、必要な象徴や儀礼を保つ形を模索することが、単なる“限定効果論”ではなく“しなやかに強靭なレジリエンス”を育む条件になっていくと締めくくりました。

第7回は、京都⼤学経営管理⼤学院レジリエンス経営科学研究寄附講座客員准教授・⼭⽥ 忠史⽒による「持続可能なビジネスとITーわが国の物流を題材としてー」となります。公開まで今しばらくお待ちください。

連続講座「2024年度・レジリエンス―人間と社会の強靭性を考える」第5回開催レポート

今年度、現代社会が直面する様々な危機にどう対応していくべきなのか、社会との対話を通じて実践的な知恵を育むことを目指し、一般の方々も参加できる連続講座を開催しています。

すでに、すべての講座のお申込みを終了しており、「レジリエンス」という概念が私たちの日常生活においても重要性を増していることが表れているかもしれません。ご参加できない方や改めて講義を見直したい方に向けて、毎回の講義動画を公開いたします。

第 5 回「レジリエンス経営科学研究寄附講座」では、京都大学大学院地球環境学堂の山口敬太准教授による「現代社会における共同性を考える」というテーマで講義を行いました。建築・土木・哲学など多彩な領域を横断しながら「景観保全論」や「地域資源管理論」を探究する山口准教授が、社会の分断や画一化が進む現在だからこそ求められる“共同性”の再構築について、独自の視点で講義を行いました。

【開催概要】
日 時: 2024 年 12 月 21 日(土)16:00-18:00
登壇者: 山口 敬太 京都大学大学院地球環境学堂 准教授
プロフィール:専門は景観デザイン論、都市・地域再生論、公共空間のデザイン。地域固有の風土、歴史、文化、景観を手がかりに、地域課題の解決と人々の未来への意志や創造性に基づいた、都市・地域再生の戦略や公共空間のデザインのあり方を探る。
テーマ: 現代社会における共同性を考える

土地の記憶とまちづくり:住民参加型の地域再生に向けて

「土地の記憶」や「風景の文脈」が私たちの日常に深く作用しているにもかかわらず、その重要性に気づきにくい現状があるという指摘から講義は始まります。まちづくりを単なるインフラ整備や経済効率の問題に矮小化するのではなく、歴史・文化・習慣といった⻑期的な蓄積を丁寧に読み解くことこそが、本質的な基盤づくりに不可欠であると話しました。

オギュスタン・ベルクの「人間による風景の発見」や、和辻哲郎の「間柄的存在」という着想が、こうした視野を広げ、地域の景観保全に関する新たな意義を再確認させる理論的支柱となると山口准教授は述べます。特に和辻哲郎が主張する「間柄的存在」―家族や地域共同体、さらには自然環境との関係を通じて初めて自己を確立する―の見方をまちづくりに適用するときにこそ、現代の共同性が取り戻される余地があると山口准教授は説きました。

地域の景観保全や公共空間の活用を考える場合に、住⺠がそこでどのような記憶を重ね、日常的にどんな対話を交わしてきたかを丁寧に掘り起こすことが、本質的な解決策に繋がっていきます。山口准教授が携わってきた空き家再生や地域再生のプロジェクトでは、参加型のワークショップや社会実験を通じて、住⺠が「この建物にはこんな物語がある」「ここは家族との思い出が残る場所だ」などと語り合う場を設計し、新しい活用方法を実践しました。そのプロセスでこそ、新たなコミュニティの芽が生まれ、“しなやかな強靭性”が地域に根付いていくのです。ハードの整備や経済効率のみを優先する手法に偏ると、人間を取り巻く関係性という大切な基盤が見えなくなってしまうことに警鐘を鳴らしました。

講義の後半では、「なぜワークショップや社会実験が大切なのか」という問いについて深掘りをしていきます。人間は往々にして新しいプロジェクトや会議の場に身を置くだけでは動かず、自分自身が「面白い」「やってみたい」と感じたときにこそ、主体的な関わり方が生まれると山口准教授は話します。そうした自発性を高めるための仕掛けとして、遊び心や多様な人を巻き込むことを重視し、予期せぬアイデア同士が出会うとき、従来にはなかった創造力や連携が生まれていきます。何より、外部から投入される計画ではなく、住⺠の生活実感に寄り添いながら徐々に形を整えていくことが、まちづくりを息の⻑いものにする秘訣としても挙げられました。ハードとソフト、制度と自発性を同時並行でデザインする手法が、コミュニティを強靭化し、多層的な課題への対応力を高めるという見解を示しました。

まとめ

山口准教授が指し示したのは、「風土や景観をめぐる文脈を知的かつ創造的に読み解き、そこから住⺠が連帯するシステムを構築する」ことの重要性です。人間が本来的に備える“間柄性”を活かし、現代社会に豊かで多層的な共同性を取り戻すことを目指して、単なるノスタルジーや観光資源として過去を消費するのではなく、地道な対話と協働を重ねることで“分断を超える力”を培い、それがレジリエンスを高めるまちづくりにつながっていく。これは地域コミュニティを考えるすべての人にとっての指針となるはずです。

第 6 回は、京都大学経営管理大学院レジリエンス経営科学研究寄附講座客員准教授・辻田 真佐憲氏による「AI 時代の情報戦をどう考えるか」となります。公開まで今しばらくお待ちください。

連続講座「2024年度・レジリエンス―人間と社会の強靭性を考える」第4回開催レポート

今年度、現代社会が直面する様々な危機にどう対応していくべきなのか、社会との対話を通じて実践的な知恵を育むことを目指し、一般の方々も参加できる連続講座を開催しています。

すでに、すべての講座のお申込みを終了しており、「レジリエンス」という概念が私たちの日常生活においても重要性を増していることが表れているかもしれません。ご参加できない方や改めて講義を見直したい方に向けて、毎回の講義動画を公開いたします。

第4回では、慶應義塾大学の岩尾俊兵准教授が「価値創造の民主化」をテーマに講義を行いました。岩尾准教授は、東京大学史上初の経営学博士号取得者であり、組織学会評議員や日本生産管理学会理事を歴任し、多数の学術賞を受賞。現在は慶應義塾大学商学部准教授として教鞭を執りながら、2024年11月には東証スタンダード市場上場企業の代表取締役社長に就任するなど、学術と実践の両面で活躍する気鋭の経営学者です。また『世界は経営でできている』(講談社現代新書)や『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)など、経営学の知見を一般読者向けにわかりやすく解説する著作を次々と発表していることでも知られています。

【開催概要】

日 時:2024年11月16日(土)16:00-18:00    
登壇者: 岩尾 俊兵 准教授(慶應義塾大学 商学部)
テーマ:カネの論理とヒトの論理:資本主義の再構築


岩尾准教授は、経営者と労働者の対立、世代間格差、企業不正、凶悪犯罪の増加など、今日の社会における様々な分断の根底には「価値有限」という発想があると指摘します。価値ある資源は限られており、奪い合うしかないという価値有限の考えが、対立を生み出しています。

しかし、地球そのものは数百万年間でほとんど変化していないにもかかわらず、経済は何百何億倍にも成長している事実は、価値創造には無限の可能性があることを示していると岩尾准教授は話しました。
価値が無限だと考えれば、他者は限られた資源を奪い合う敵ではなく、共に新しい価値を生み出すパートナーとなる。この観点から、「他者と自分を同時に幸せにすることを究極の目的として、対立を1つずつ解消し、豊かな共同体を作り上げること」を目指していくことが様々な問題の解決に繋がると話しました。

そして、戦後日本の経験を重要な事例として挙げます。戦後、多くの有形資産が失われた中で、人材が唯一の資源として、「人こそが価値の源泉」という信念に支えられた経営が行われ、高度経済成長を実現できた重要な要因となっていました。
しかし、平成以降、アメリカ式経営が持ち込まれたことで「金で金を生む」発想が強まり、人材は投資の対象から管理・監視の対象となっていった。その結果、日本国内への投資は減少し、代わりに日本は世界一の対外純資産を持つに至ったのだと岩尾准教授は話します。


この状況を打破するために、岩尾准教授は「価値創造の民主化」を提唱しました。これは、経営教育を多くの人々に広く薄く提供することで、誰もが価値創造の担い手となることを目指す考え方です。
たった一人が10倍優秀になるよりも、1000人が1%ずつ改善する方が、複利計算的に組織の成果は大きくなる。研究室の経営、病院の経営、家庭の経営など、経営の概念をあらゆる場面に適用することで、新しい形の豊かな共同体を作ることができると岩尾准教授は説きます。この「価値創造の民主化」は、金融資本主義的な『金の論理』と共産主義的な『人の論理』という二元論を超えて、無限の価値創造と無形の生産手段である知識の共有によって、みんなで豊かになる社会を実現する道筋を示していると強調しました。

最後に、経営学において最も困難な課題の一つは、組織の中で共通の目的を発見することだと岩尾准教授は話しました。しかし、人は「幸せになる」という共通目的を持っているはずで、その目的に向かう仲間として、新しい解決が実現できるのではないかと締めくくりました。